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| ◆2階 常設展示場 伝統工芸品・民芸品の紹介◆ |
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八女福島仏壇 (経済産業大臣指定伝統的工芸品)
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八女地方は古くから信仰心の強い土地柄で、地域内には奈良時代建立(725年)の大円寺、
奈良時代の僧 行基建立と言われる光明寺「無量寿院」、その末寺の上妻(八女)の七福寺
(東福寺・西福寺・南福寺・地 福寺・天福寺・正福寺・大福寺)と言われる寺々があります。
しかも、江戸時代に入ってキリシタン禁制が法制化され、このような背景の中から仏壇作りが
始まったとみられます。
八女福島仏壇は、江戸時代後期の文政4年(1821年)に指物大工の遠渡 三作がある夜、
壮厳華麗な仏閣 の夢を見て、同業者の井上 利久平・平井 三作の協力を得て仏壇を作った
のが始まりだと言われます。しか し現在の仏壇製造の源流となっている、技術・技法が確立
したのは、少し後の嘉永年間(1850年)頃です。
江戸時代末期には、仕上げ師18人、金具師7人、仏師・彫刻師7人、木地師10人を数えるほどに
成長し、藩 政による居住や生活の制限が解除された明治維新後は、ますます産業 として
発展しました。
漆塗りと金箔を施した格調高い八女福島仏壇は、細部にまで芸術性と機能美を兼ね備えた
手づくりの伝統 技法が光ります。
ひとつの仏壇を作るまでの全工程は80工程にものぼり、大きく分けると @木地・A宮殿・
B彫刻・C金具・D 蒔絵・E仕上げの工程を経て、八女福島仏壇は出来上がります。
仏壇は先祖供養のためだけでなく、先祖と語らい家族の絆も深めるものとして信仰心の厚い
八女の地に根付いています。受継がれた技術を活かし、最初から最後まで手作業で作られる
八女福島仏壇は、先祖代 々の仏壇も修理して大事に使い続けることができるよう、様々な
工夫と配慮がなされています。
■産地団体:八女福島仏壇仏具協同組合
■1977年(昭和52年) 通商産業大臣(現、経済産業大臣)指定伝統的工芸品 |
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八 女 提 灯 (経済産業大臣指定伝統的工芸品)
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八女提灯は、文化13年(1816年)頃、福島町(現、八女市)の荒巻文右衛門が「場提灯」と
称し素朴で簡単な絵を描いたのが始まりとされています。
安政年間(1854年〜1859年)に福島町の吉永太平が意匠を工夫し、竹骨を「一条螺旋式」に
改め、厚紙を薄紙の八女手すき和紙に変え内部が透視できるようにして、山水や草木、花鳥を
色彩描写したため、涼み提灯として名声を博しました。
明治時代の初期、吉永太平の弟、吉永伊平が速描の絵画法を適用して生産は急激に増加し、
大正時代になると大型の提灯から小型の盆提灯へと転換しました。
その後、盆提灯以外にも騎馬(馬乗)提灯、祭礼用、宣伝提灯なども作られるようになり、全国
一の生産地(生産量)として製品は全国へ広く出荷されるようになりました。
製造工程は、ひご巻き・火袋張り・絵付け・曲げもの・塗装・蒔絵・木工・金具・房など、各部門
ごとに分業されていますが、これらの部門を一部統合した事業所もあります。
優美な手すき和紙と高級絹に手描きされた風雅な提灯で、住吉・御殿丸・行灯・博多長・回転
灯などの種類があります。
桔梗やススキ、秋の七草などを描いた盆提灯が主流ですが、新しい感覚を取り入れた提灯や
(例えば、絵に桜、蛍、夕焼け、内側に山水墨絵、外側を鮮やかな草花など描いた二重張り提灯)
灯りも人気を集めています。
■産地団体:八女提灯協同組合
■指定:1982年(昭和57年) 福岡県知事指定特産民芸品工芸品
■指定:2003年(平成13年) 経済産業大臣指定伝統的工芸品 |
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久 留 米 絣 (経済産業大臣指定伝統的工芸品)
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久留米絣は、江戸時代後期、寛政の末(1800年)頃に現、久留米市の通外町に住んでいた
井上 伝(1788年〜1869年)という女性の手により始まりました。伝が12歳の頃、古着の色あせた
ところに白い斑点ができているのを見て古着を解き、インスピレーションから端を発した斑点絣が
考案されました。伝はその後も精力的に工夫を重ね、久留米絣の普及活動を続けました。
最初は「加寿利」と命名され、「飛白(ヒハク)」と表現される斑点模様は人々に珍重され全国的に
広まりました。その後、織り機の改良で”からくり儀右衛門”こと、田中 久重の協力や多くの人たち
の創意工夫によって、久留米絣は全国的に知られる綿織物となりました。
昔は農家の副業として織られ、明治以降は、庶民の衣服として全国に普及しました。 さらに、
1844年頃、牛島 ノシが久留米絣の代表柄とされる小紋を考案、また1839年、大塚 太蔵が絵や
文字を自在に表現しようと工夫を重ねました。久留米絣は時代と共に奥行きを増しながら、日本
全国に認められ、今に繋いでいます。
工程は、柄づくり[図案]から整反[最終仕上げ]まで、約30の工程があり、そのひとつひとつの工程
に経験と技を必要とします。アラソウや白糸で綿糸をくくり、藍で染めた後、織ると簡単に言えばそう
なのですが、経糸の柄、緯糸の柄をきちんと合わせ美しい模様の布を織り上げる根気、一反(巾38
〜40p、長さ12m)の久留米絣が出来上がるまで3ケ月程を要します。
藍染めは日本には、奈良時代に伝わっています。一方、絣模様も発祥はインドで、南方の島々を
経て14世紀に沖縄に伝わりました。
職人たちの丹念な手仕事、自然素材、木綿の風合い、素朴な中にも精巧な美しさがあります。
久留米絣の魅力は、200年を超える時の集積、高度な技術が受け継がれています。
綿の持つ素朴で温かい風合いと絣模様の面白さ、藍染めの美しさで時代を経ながら着物だけで
なく洋服やバッグ、帽子など身につけるものから雑貨やインテリアグッズとして広く愛されています。
■産地団体:久留米絣協同組合
■指定:1957年(昭和32年) 国指定重要無形文化財
■指定:1976年(昭和51年) 通商産業大臣(現、経済産業大臣)指定伝統的工芸品 |
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八女石灯ろう (福岡県知事指定特産民芸品工芸品)
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八女石灯ろうの始まりは、素材となる阿蘇の凝結凝灰岩が、八女の地で採れたこと、また石工
(イシコウ又はイシク)と呼ばれる石切工・堀石工・積石工(ツミイシコウ)の技術を持った職人が
いたことが挙げられます。
起源は江戸時代初期と言われ、最も古いものは文 年間( )の作が残っています。
石質が柔らかで細部に彫刻がかなうことから、趣のある造形が可能で、軽く持ち運びの利便性と
石苔が早く付き寒さや熱に強いという特徴を持っています。
八女石灯ろうの黒っぽい岩肌は素朴で落ち着いた色合いで日本庭園によく調和します。
■産地団体:八女石灯ろう協同組合
■1978年(昭和54年) 福岡県知事指定特産民芸品工芸 |
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八女手すき和紙 (福岡県知事指定特産民芸品工芸品)
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八女手すき和紙は、元来、「筑後手漉和紙」と呼ばれ、九州では最も古い歴史と伝統のある
和紙です。その起源は、文禄年間(1592年〜1596年)に日蓮宗の僧、日源上人によって創始さ
てたと言われています。日源上人は、越前の国 (現、福井県)今立郡五箇村の生まれで、全国
行脚中、1595年に溝口(現、筑後市溝口)に立ち寄り、八女を東西に流れる清流矢部川の地理、
水質が和紙作りに適すると判断し、郷里から新左衛門・新右衛門・新之丞の3人の弟を呼び、
製紙場を開き普及させました。
特徴は、長繊維(7〜10o)の楮を主原料に卓越した伝統技法をもって製造するため、強靭さ
と優美性を兼ね備えます。
最盛期は、明治の後期から大正中期頃で、1,800戸の紙漉き場があり、中国や韓国へも輸出
されていました。
現在では熊本県北部産の長繊維をもつ楮を主原料に「流し漉き」と呼ばれる卓越した伝統技法で
1枚1枚作られているため、他産地にない優美で引き・腰が強い和紙が生産されています。
作られている主な製品は、表装裏打紙、版画用紙、書画用紙、障子紙、染め紙等民芸紙など
です。
版画家の棟方 志功も「版木に合い、かつ墨がしみいるようだ」と八女手すき和紙をこよなく愛し
たことから、引きが強い版画紙として、全国に知られるようになりました。
■産地団体:八女手すき和紙組合
■1972年(昭和47年) 福岡県無形文化財(技術の部)に指定
■1978年(昭和53年) 福岡県知事指定特産民芸品工芸品 |
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八女竹細工 (福岡県知事指定特産民芸品工芸品)
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良質の竹の産地であった八女地方では、農業の副業として古くから竹細工が盛んでした。
八女竹細工は、主にザル、籠、和傘などの生活道具・農具として実用性を重視し、使いやすく
丈夫に作られ、昔から普段の生活の中で使われてきました。産地が形成されたのは、宝暦年間
(1704年〜1711年)頃だと言われ、飯籠、味噌コシと専門の職人がいて、それぞれで作った商品を
九州全土に売り歩いていました。
材料は「真竹」を主に使い、使い込むうちに青から飴色へと変わる過程も楽しめます。
特徴は、籠の底は竹を差し込み補強し、取っ手を付け持ちやすくしたり、押して引いて運んでも
丈夫に作られ、修理をしながら長く使い続けられるよう工夫がなされています。
八女の多くの工芸品にも竹が使われ、竹クギが八女福島仏壇に、竹ヒゴは八女提灯に、矢竹が
八女矢に使われるなど様々な用途で日常的に利用されています。
軽くて丈夫な竹は自在に曲がり加工しやすく、釣り竿・釣具、竹製品のほかに建築材・工芸材、
最近では繊維や食器などの素材としても使われています
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八 女 矢 (福岡県知事指定特産民芸品工芸品)
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八女矢は、矢飛びの良さと美しさで全国の弓道家に知られ、製造工程の全てが手作業で、伝統
技法と長年の経験と勘で心を込めて作られます。
竹の素材となる矢竹の一種、「篠竹」(しのたけ又はしのべたけ)が矢部川流域に豊富に自生し、
その竹を使って 1752年(宝暦2年)に現在の柳川市 (旧立花藩)のお抱え矢師が作り始めたと
言われています。
節が少なく節自体が平らな篠竹で作られる八女矢は、強いしなりを持った美しい矢で何度も竹を
伸ばして真っ直ぐにする 「矯め(ヨミ:ため)作業と丁寧に選別し加工した羽・部品を組み合わせ、
美しい八女矢は完成します。
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■ 年(昭和 年) 福岡県知事指定特産民芸品工芸品
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赤坂人形 (福岡県知事指定特産民芸品工芸品
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筑後市・赤坂は、江戸中期の頃から有馬藩のご用窯として知られた赤坂焼の産地です。
赤坂人形は、陶芸職人の余技として製作されたものといわれています。
別名「ててっぽっぽ」とも呼ばれ、幼童の玩具や民芸品として親しまれてきました。
製作技法はシンプルで、素焼に胡用粉をかけ、紅、黄、青などの食用色素で彩色するもので、
ほのぼのとした温もりがあります。
子守笛、鳩笛、ふくろう笛の笛類のほか福助、天神、猿などの十数種の人形があります。
■生産者:赤坂飴本舗
■ 年(昭和 年) 福岡県知事指定特産民芸品工芸品 |
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八女すだれ (福岡県知事指定特産民芸品工芸品)
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福岡県南部に位置する八女地方は農業と伝統工芸が盛んな地域で、国指定の伝統的工芸品である
八女福島仏壇や久留米絣、八女提灯をはじめとする匠の技は、国内外で高い評価を得ています。
八女は、竹の産地であり竹のすだれも伝統工芸のひとつで、「八女すだれ」は、大正元年より作り続け
てきた伝統と技術が今でも受け継がれています。
現在、新商品として、久留米絣の縁をあしらった久留米絣と八女すだれのコラボ製品が人気となって
おります。希少な雲紋竹と八女産の真竹を「1本返し」という技法で、正絹の経糸(タテイト)で織り上げて
あり、大切に末永く使い続けたい仕上がりとなっております。
■生産団体者:八女すだれ振興会
■2014年(平成26年) 福岡県知事指定特産民芸品工芸品
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手づくり桶 (国土緑化推進機構認定「森の名手・名人」)
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八女産の木材から生み出される伝統の手づくり桶。今では九州でも見られなくなった手作りの
技が八女市龍ケ原の地に息づいています。
木のコップから大型の樽や風呂までを手掛ける松延工芸では、「良いものを長く使ってもらいたい」
という思いから、昭和34年の創業時より手作りの桶を制作しています。
温泉リゾート地から一般家庭までの風呂や桶類、お櫃、寿司桶など多種の木製容器が作られて
います。
■社団法人国土緑化推進機構により、森や山に関わる仕事の業を極めた達人に贈られる「森の
名手・名人」に平成14年に認定。
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| ◆その他の手仕事◆ |
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馬場水車線香工場の
杉の葉線香
(上陽エリア) |
八女地方は線香の原料になる杉粉の産地で、特に盛んだったのは、明治後期から昭和50年代でした。
奥八女の林業の副産物として杉粉生産が行われ、最盛期には40軒以上の水車が稼働していました。
現在、現役で動いている線香水車は、馬場水車場ともう一軒だでとなり、馬場さんは、@伐採後の杉山
や間伐後の杉葉を集めA杉葉を乾燥させ、B水車を使って粉にしC杉粉をふるいにかけ目を細くし,D杉粉とタブの粉を配合し杉の葉線香を作り続けています。 |
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星野焼
源太窯・十籠窯・錠光窯
(星野エリア) |
星野焼は、江戸時代の1737年(元文2年)に星野村本星野の仙頭次右衛門の願いにより、
久留米 有馬藩の御用窯としての認可を受けたのが始まりで、特産品の八女茶を保存する
茶壺を主に産し、茶器、花器、香炉などの名品も作られました。
明治維新を迎えて御用窯は廃止され、民陶として生産は続いていましたが、明治中期に廃窯
となりました。その後、昭和44年に山本源太氏(源太窯)により途絶えていた古陶星野焼が再興
され、以降、丸田修一氏(十籠窯)、山本拓道氏(錠光窯)が開窯し、現在に至っています。
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男ノ子焼
(立花エリア) |
男ノ子焼は、柳河藩の御用窯として栄えた窯で、今から420年前の文禄年間(1592年〜1596年)
頃に、柳河藩主 立花 宗茂が朝鮮半島より連れ帰った陶工たちにより始まったとされています。
その後、70〜80年間、この地で焼かれ、熊本県小岱山のふもとに窯を移したとも、江戸時代末期まで
焼かれたとも言われています。焼き上がりからみて、窯は穴窯と思われます。
1990年に陶芸家 柳屋 栄氏により、かっての地、八女市立花町北山男ノ子で再興されました。
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絵羽馬堂の
張り子の虎
(八女エリア)
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その昔、とある山間部の村落に魔物が住みつき村人が大変困っておりました。ある日のこと、夕日に
映えて美しい大きな滝の岩場に、気高く神々しい虎が村をじっと見据えておりました。が、次の瞬間、虎は
旋風のごとく村へ駆け下りあっという間に魔物を退治しました。村人はたいそう喜び家の守り神として虎を
奉りました(由来)…このように、虎は神の使いとして魔を封じる魔除けとして、また百獣の王、虎にあやか
り出世虎として、また戦えば勝つ戦利虎として商家などにも虎を飾る習慣が生まれました。
張り子の虎は、力の象徴、守り神として飾ることで何でもできる気がする、この虎のおかげで何かを成す
ことができると思っていただければ幸いです。時々頭を撫でてください、嬉しそうに首を振ります。
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